無料カウンセリング掲示板の質問

「ジャッジをしたり感情的になってしまう部分を直したい」に関する質問

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みみさん

私はジャッジをしたり、すぐに感情的になってしまう部分を直したいと思っています。
ジャッジは常にしています。
例えばキャミソールにへそ出しみたいな格好をしてる女性を見ると、「何この人。下着かよ。下品だなぁ。」とか思います。
イチャイチャしてるカップルを見ても、「公共の場でイチャイチャするとか信じらんない。何この人達。」とジャッジします。
自分の中でも「こうあらなければならない」みたいなマイルールが多く、それらが自分をがんじがらめにしてると思います。
しかしずっと思考でそう考えてきて、それが癖になってるのでなかなか直せません。
ジャッジをやめ、自分や他人を受け入れるにはどうしたらいいでしょうか?

あと私は、自分への批判や否定にめっぽう弱いです。
対面でも言われるのは苦手ですが、とくにネットなど顔の見えないところで批判や否定をされると目には目をみたいに感情的になってしまいます。
私のことは何一つ口出ししてほしくないのです。
それだけ芯が強いから誰にも何も言われたくないのでしょうが、当時に自分への自信のなさもあります。
普段から自信のなさから自分で自分を傷つけてばかりいるので、もうこれ以上傷つきたくなくて防衛反応が働くのかもしれません。
人からの否定や批判をうまくかわすとか心に大ダメージを受けないためには、どのような心持ちでいればいいのでしょうか?
よろしくお願いいたします。

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2024年8月7日 12時51分

無料カウンセリング掲示板の回答

心理カウンセリング らしんばん座

ベストアンサー

みみさん、こんにちは。
カウンセリングルーム「らしんばん座」と、申します。

おそらく、他人をジャッジする心の動きと、自分への批判にめっぽう弱いことは表と裏の関係で、同じ心の動きに起因しているのだと思います。

そうですよね。下着みたいな格好で外を歩いている人を見れば、「よくこんな格好で外を歩けるな。恥ずかしくないのかな?」と思ってしまいます。
私が一番思うのは、歩きスマホで歩いている人ですね。「よく、自分の安全を他人任せに出来るな?」と思ってしまいます。
そんな感じで、他人のことをジャッジしてしまう気持ちは、おそらく誰もが持っている心の動きだと思います。

ジャッジしてしまうのは、それ自体は問題のあることではないと思います。

ただ言えるのは、そういった「みみさんから見たら変なこと」も「その人」の問題であって、みみさんの問題ではないと言うことです。
人が恥ずかしい思いをしようと、危ない思いをしようと、それは「その人の問題」です。みみさんには、関係も責任もありません。

だから、そういうジャッジしたい気持ちが起きたら、「いったん起こしておいて、すぐに忘れてしまう」ことだと思います。
自分に対して「ジャッジしちゃダメ!」と言い聞かせて押さえ込んでしまうのではなくて、「でもそれは私には関係ないし」とおもって、感情を捨ててしまってください。

「自分に自信を持つ」、言葉では簡単ですが、なかなか難しいことではあると思います。
「自信」というと、なにか「すごく素晴らしい自分」が必要な気になってしまいます。
でも、「すごく素晴らしい自分」って、本当にいるのでしょうか?実際にいるのは、「なんてことのない、間違いと失敗だらけの自分」です。
でも、そんな「みっともない自分」であっても、「そんなんじゃダメ!」などとは言わずに、「これも自分なんだ」と思えることが、「自信」なのだと思います。
でも「すごく素晴らしい自分じゃないとイヤ!」と思ってしまうので、必要以上に自分を守ってしまうことになります。

他人に対しても自分に対しても、人間関係の問題は「必要以上に期待してしまう」事が原因で発生します。
だから、最初から誰に対しても「期待しない」ことが、心にダメージを受けないための手段になります。

「あの人、酷い!」と思ってしまったときは、「でもあの人に期待しすぎていたからだね」と思って、受け流してしまってください。

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2024年8月7日 19時15分


お礼コメント

ありがとうございます。
人へのジャッジは多かれ少なかれしてる人は多そうですよね。
私もスマホを見て歩いてる人に、これぶつかったらどう責任とるんだろう?とか思います。
でも確かに、その人が何をしようが私には関係ないんですよね。
なのでジャッジがわいてきたら、でも私には関係ないしで流していこうと思います。

確かに、私は完璧主義なところがあるかもしれません。
素晴らしい自分という理想があっても、目の前にいる私はちっぽけな私です。
でも、それを受け入れてこその自信なのでしょうね。
とてもわかりやすいです。
自分のことを否定せず、あるがままの私を受け入れたいと思います。

2024年8月8日 13時06分

カウンセリングルーム・エンパシー

ご相談内容を拝読しました。
あなたの思考は「こうあるべき」「こうしなければならない」が強そうです。

良く言えば「芯がある」ですが、それを他人に強要するのはいかがなものか?
「厳しさ」を下げ、もっと緩く生きたいと思うのなら、「まぁいいか」を癖付けましょう。

自分と他人を分けて、厳しく考え過ぎず適当になることです。
要は、良い意味で緩く、他人にも自分にも多少甘く接してあげることがポイントです。

あなたは、他人に厳しい反面、自分への劣等感が強そうです。
「厳しさ」が強い故に自分に自信が無いのです。

カウンセリングで、複雑な心を少しずつ紐解き、生き辛さを解消してはいかがでしょう。
あなたの直感が、私との縁を感じたらならご連絡ください。

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2024年8月8日 09時03分


お礼コメント

他人に強要するのはいかがなものか?とありますが、私は思ってるだけで他人には強要してませんので。
誤解を招く言い方はやめてください。

2024年8月8日 12時55分

追加コメント

誤解を招く表現ですみませんでした。
あなたが自分の感情を容赦なく相手に直接強要するということではありません。

「心の中で強要」と、訂正いたします。
心の反応は、生き辛さに繋がります。

人からの批判や否定に反応して傷つかないためには、「反応しない」ことです。
「心の反応」の原因は「求める心」にあります。

2024年8月9日 08時12分

お礼コメント

ですから、強要という言葉をつかわないでください。
心の中で思うことは自由ですので。

2024年8月13日 12時50分

お礼コメント

返信は結構です。

2024年8月13日 12時51分

初めまして。カウンセラーの羽立友美です。
ジャッジすることは、誰しもがあるのではないかと思います。ただ、みみさんはそれを辞めたいと思っているということは何らかの理由があるのではないでしょうか。それが、「こうあらなければならない」みたいなマイルールが多いということでしょうか。そして、そのマイルールによって自分が辛い状態になっているのではないかと思います。
ただ、人は「こういうことは辞めたい」と思ったら辞めます。やめないということは、何らかのメリットがあるからやめないのです。それが悪いということではありません。何があってジャッジすることを辞めないのか、じっくり向き合うといいと思います。一人で向き合うことが難しい場合は、信頼できるカウンセラーに頼るという手段もあります。

次に、批判や否定についてです。
これは、ほぼほぼ人は嫌がるかと思います。私も批判、否定されると嫌です。
さらに、単なる批判、否定の内容は「事実」ではありません。みみさん自身が自分のダメだと思っているところとか、自信がないと思っているところを言われたと感じるかもしれません。しかし、批判、否定の内容は、言っている人自身のことを言っています。自分自身のダメなところや自信がないところを、他者に投射しているだけなのです。この場合は、みみさんに投射しているということになります。ですから、はっきり言って鵜呑みにする必要はありません。
とはいえ、批判、否定されると誰もが傷つきます。そんなとき、感情的になることは当たり前です。嫌だと思う気持ち、悲しいと思う気持ち、腹が立つ気持ちを我慢すると、身体症状が出たりする可能性があります。みみさんが感じている気持ちは、みみさんのものです。その気持ちを否定しないでください。

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2024年8月7日 19時30分


お礼コメント

ありがとうございます。
ジャッジをやめたいのは、自分へのマイルールなどもあり疲れてきたからです。
ただ、それをやめないのはメリットとかじゃありません。
単純に、人を許すことができないからやめられないのです。
なるほど、批判や否定は感情的になることは当たり前だからその気持ちを否定しないことが大切なのですね。
確かに感情的にならないよう抑え込んでもそれは消えるわけではなく、自分の内側に溜まっていくことてすね。
私の感じた気持ちを否定しないようにします。

2024年8月8日 13時00分

S.Light.M

こんにちは、S.Light.Mの瀬川と申します。

ご相談内容を拝見させて頂きました。

まず最初に、みみさんはご自身の事をちゃんと見つめ、その上で変えていきたいとの思いは素晴らしいものです。

そして、私も心の内ではジャッジを下す事は多々あります。

例えば、社用車を運転中にスマフォをしている人を見かけると、「誰かが見ていて会社に苦情を入れたらどうするのだろう???」「いい年齢の大人なのに気づけていないって恥ずかしい」「子どもに自分の行動をちゃんと説明出来るのだろうか???」など、色々と考えます。

勿論、時にはあまりにも酷いケースでは「怒り」を覚える事もございます。

ただ、そのように「感情優位」になりそうな時には、「反面教師」として見せてくれたのだな、などのように思考を転換したりします。

勿論、誰かや何かに危険が及びそうな場合では「駄目なものはダメ!!!」との、ちゃんと伝えるのが真の優しさになりますので、自分の胸の内に収めればそれで良いという意味でもございません。

そして、特に強くジャッジしたくなる時に、私が思い出しているのが「自分のした事は自分に反ってくる」という視点です。

これは表現を変えると「課題の分離」という、気づけていない事で損をするのは相手の問題であって自分の問題では無いという、良い意味での「割り切り」とも言えます。

そして、これは次の批判や否定への対応にも結び付くものですが、「幸せな人はイジワルしない(イジワルな気持ちを抱き辛い)」という視点があります。

つまり、みみにさんにとって「耳に痛い」話や指摘であっても、それが「良薬口に苦(にが)し」のように、みみさんの事を本当に想った上で言ってくれているのか、あるいは、イジワルな気持ちから「傷口に塩を塗る」感じで言っているのかなどを、「見極める」練習をしてみて下さい。

そして、特にネットやSNSでの匿名の誹謗中傷では、それをしている人は「私は幸せでは無い!!!」と、わざわざ公言しているのと同じ事になります。

多くは相手にせず放っておけば良いですが、時と場合によってエスカレートしているケースでは、法的手段などの検討も大切な場合がございます。

この時も「過度な感情」ではなく「理性」を活用する事が大切になります。

そして、「人それぞれ見ている景色や光景は違う」という視点がありますが、これは他の人の評価も「十人十色」である事を意味しています。

全てを鵜呑みにしてしまうと「八方美人」のように、次第に自分の軸や芯が失われていく怖れも無きにしもあらずですので、最初の内は「ほどほど」や「しなやか」を意識してみて下さい。

そして、「癖」とは「無意識で繰り返して来た習慣に過ぎない」という性質がございますので、これも新たな思考(視点)や言動などを「繰り返していく」事で、必ず身に付き、変わっていく事が出来ます。

そして、みみさんが幸せになるという面も同時に考え、出来る範囲内で大丈夫ですので行動に移してみて下さい。

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2024年8月7日 18時19分


お礼コメント

ありがとうございます。
ジャッジは多かれ少なかれしてしまう人も多いのでしょうね。
でも確かに、自分のしたことは返ってくるというのはわかります。
例えば私は浮気や不倫なんかでも、「いい大人がこんなしょうもないことして情けない」とか思います。
だけど自分のしたことは返ってくるから、じゃないと気づけないからそういう人達は間違いを犯すのでしょうね。
また、批判や否定もわかります。
私のことを思ってくれて言ってることならいいけれども、そうじゃなくただストレスのはけ口みたいにしてる人は幸せじゃないから行っているのですよね。
わかりますいです。

2024年8月8日 14時16分