無料カウンセリング掲示板の質問

「憂鬱な気分が晴れず「生きてしまっている」と感じる」に関する質問

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smithさん

自己肯定感の低さを自覚しています。
毎日が憂鬱で、自分は「生きてしまっている」という感覚です。
周りからの評価を素直に受け入れず、勝手に苦しんでいます。

この「自分だけが自分を認めていない」という状況を克服したいと考えています。
そうしなければ、今にも衝動的に命を捨ててしまう怖さが常にあります。

コロナ禍でも仕事があります。毎月変わらない収入があります。
会社はとても働きやすく人間関係も良好です。役職も任されています。
貯蓄もあり、衣食住にも困っていません。未婚ですが恋人もいます。
家族関係も悪くありません。客観的に見て自分はとても幸せだと思います。

ですが、仕事面では理想とは程遠い状況。
昨年4月からの完全在宅勤務に適応できず、集中力、記憶力、言語化能力が急激に衰えました。
世間への興味関心も薄れ、ニュースで世の中の動きを見ることが苦痛です。
それらが影響して仕事上の不手際が目に見えて増え、ニューノーマルに適応できない自分は働く価値がない、
これからの世界を生きる価値はないと思うようになりました。

先述のとおり幸せな環境にいることを自覚しながらも、毎日のように死を意識しています。
親を悲しませたくないな、会社を困らせたくないな、この部屋も引き払わないと、最期の場所は…
などと具体的な段取りまで考えています。

これまでは何かあっても「死ぬほどのことじゃない」と繰り返し唱えて何とか踏みとどまってきましたが、
最近はだいぶ踏み外している感覚があり、次はもう無理だと思います。
悩み苦しむくらいなら、今すぐ楽になりたいと思うのです。

認知行動療法も実践してみましたが、
こんなことをしなければ生きていけないのか自分は…と惨めな気持ちになり続きませんでした。

自分では明らかに心の状態がおかしいと思いながらも、
仕事はするし日常生活も送れているので、ただ無気力なだけではないかという気もして、
専門家のご意見を聞けたらと思い投稿しました。
よろしくお願いします。

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2021年1月17日 17時03分

無料カウンセリング掲示板の回答

心理カウンセリング らしんばん座

smithさん、こんにちは。
カウンセリングルーム「らしんばん座」と、申します。

そうですね。
他の人から見ると「幸せ」の範疇に入っているとしても、それはsmithさんが「幸せ」と感じるという事とは別問題です。
「幸せ」とは、その人だけが感じる物であって、他の人から判断してもらうものではないからです。
smithさんが、その「客観的な幸せ」を「幸せ」だと感じることが出来ないのは、何もおかしいことではありませんよ。

もともと人間は、「生きてしまっている」ものです。
「モノ」は、人間が、或る目的のために作ったものです。だから「モノ」皆全て、何らかの「目的」を持って存在しています。
しかし、人間は違います。人が、今ここに居る理由なんて、誰にもわかりません。
自分で自分の「生きる価値」がわからないのは、「人間として当然」のことです。
確かに、「これが私の生きる道!」を宣言して、その通りに生きている人もいますが、別段そう言う人だけが「生きる価値」を持っているかと言えば、そうではありません。

最近の「ニューノーマル」な生き方に対して、違和感を覚えてしまっているのですね。
今回のコロナ禍では、存在し得る人の選別が、見えない間に行われてしまっていて、その選別が厳しくなってしまっています。
すなわち、「不要不急」なものが選別されてしまって、そういう物を社会から排除しようとする動きが、激しくなってきています。

しかし、人間の生きる力は、むしろそういった「不要不急」に見えるものの中にこそ有ります。
コロナ禍の社会が、何かとてつもなく息苦しい雰囲気に支配されているのは、そういった「人間の生きる力」が禁止されているからです。
smithさんも、そういった世の中の流れに、引っ張られてしまっているのかもしれません。
もともと、「人を、役に立つかどうかだけで見る社会」に馴染まない性格だったところへ、このコロナ禍の社会の雰囲気が、追い打ちをかけてしまっているのだと思います。

認知行動療法も、「何故これをやるのか?」と納得しないと、なかなか上手くは行きません。
その前に、自分の気持ちをわかってもらって、その上でどうするのかを明確にしないと、ただの面倒なルーチンに感じてしまいます。

ここはsmithさんを、徹底的に「わかってもらう」必要があると思います。
認知行動療法に入る前に、傾聴カウンセリングによって、smithさんのお気持ちを、全て受け取ってもらうのが良いと思います。
smithさんは、決して心の状態がおかしくなっているわけではありません。ただ、「疲れてしまっている」のだと思います。

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2021年1月18日 17時01分


ことゆめ心理カウンセリング

読ませて頂いて、思い当たることがあります。
それを質問してみたくなりました。

長年薄々気付いていることで
見ないようにしていることはありませんでしょうか?

我慢してきたけれど、余りにそれが過ぎて、既に我慢だと思っていないようなこと。

smithさんがこの人生の中で一番望んでいることは何だったのか
心を深く辿っていき見付け出して、それを叶える方向に進んで頂ければと思います。

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2021年1月18日 13時36分


お礼コメント

ご回答ありがとうございます。

>我慢してきたけれど、余りにそれが過ぎて、既に我慢だと思っていないようなこと。

そうですね、たしかにあるかもしれません。
うまく言葉にはできないですが、
我慢とも思わなくなる日が来ることを、私自身が望んでいたのかもしれません。

私自身が答えを導き出すような質問をくださり、感謝申し上げます。

2021年1月19日 19時33分

絶対・永遠はありません

smithさん、こんにちは。
愚禿進(グトクシン)といいます。70歳を過ぎた心理療法家です。
この世のことはこの世で考えるしかない。生きるということには正解なんてないんですよ。と私は思います。
換言すると、正解は一つではないということなんです。あなたの出した一つの考えは、それはそれであなたにとっての
思想です。でもね思想なんて実際に実現なんてしないんですよ。マルクスやレーニンなんて人は思想家ではあったんですけど
それが現実のものとなったことなんてないんです。
だからあなたの考え(思想)は決して現実もものにはなりません。
命ある限り生きるしかないんです。「生きてしまっているんです」はまったくその通りなんですよ。
思い通りになんてなりっこないし、思い通りに生きられるわけでもないんです。
周りからのの評価なんて、まったく意味などありません。生かされているということは誰でも同じです。
生かされている自分を周囲がどう評価しようが、どうでもいいことですし、意味もありません。
それを意識しようが、しないかなんていうのもどちらでもいいんです。
これはあくまでも私の考えですよ。でも考え(思想)は現実のものにはなりません。
だから生かされている間は人生を楽しめばいいんです。楽しむといっても、面白おかしくっていう意味ではないですよ。
人間も経年劣化していきます。病気にもなれば、退化もします。いづれは死を迎え入れる時がくるんです。
それまでは人生を楽しむしかないでしょう。気力、無気力も固定されたものではないんです。
というか思いどうりにはならないものですよ。
正解も理想もないと決めてかかれば、気持ちは楽になるでしょう。

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2021年1月18日 09時23分


カウンセリングルーム・エンパシー

ご相談内容を拝読しました。
生き辛さや悩みの原因は、「思いこみ」にあります。

「幸せな環境にある?」幸せの定義はありません。
自分に、そう思いこませているだけです。

自分の判断基準になっていないと思います。
他人の判断基準では、自分を生きることはできません。

「気づき」のお手伝いが必要でしたらご連絡ください。
自分への投資も大事です。

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2021年1月18日 08時55分