無料カウンセリング掲示板の質問

「趣味にはお金をかけるものでしょうか」に関する質問

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piroshkiさん

宜しくお願いします。

数年前から周囲の人との金銭感覚のずれを感じていたので、夏休み中に母と食事に行った時にそれとなくその事について話してみました。
ここ数年で一番お金をかけた部活の話です。芸術の分野だと思います。

家は特別裕福という訳でもありませんが、両親が必要だと思った物・・・特に趣味にはよくお金を掛けてくれました。恐らくそれは趣味で成功している姉を見ているからではないかと思います。
私の姉は小さい頃からピアノを習い、大学も音楽系の学科に進みました。とても明るく嫌味の無い性格で、「好きな事を仕事に出来て良かった」と言っています。

母は「上に行く人は、皆それなりにお金を掛けてるものだ」という考えを持っているようでした。
「別に良い物持ってなくたって、皆すごく良い作品つくってるよ」と言うと、
「じゃあなんで皆は賞取れないの?」と笑われました。
言い争いのようになってしまったので、母も歯止めが効かなくなったのかもしれませんが、
周りの人を貶すような言葉や、「他の部員はお金を掛けていない」=「真剣にやっていない」というような言い方もされて、会ったことも無いくせに…と悔しくなりました。

周囲の人は私よりずっと真剣で、何倍も楽しんで取り組んでいるのが分かります。他人を僻むような人も一人もいません。姉も、単純にお金を掛けたから成功したのだとはとても思えません。
しかし、「じゃあなんで皆は賞取れないの?」という言葉、聞いた瞬間は嫌悪感で一杯になりましたが、今は完全には否定出来ません。私が賞を取れたのは、完全に機材のお陰でした。仮に全員が同じ金額をこの部活にあてていたなら、その時は私には勝ち目など無いだろうと感じます。

「良い道具」が無ければ、私は今頃どうなっていたのか、想像がつきません。評価が得られたのも、今の部活に居座らせて貰えているのも、十分なお金をこの趣味に充てられた結果です。
私は評価が得られることで、なんとか自信を保てていました。この趣味を失くしてしまうと、自分は本当に何も無くなってしまいます。評価に執着せずにもいられません。しかし周りはより価値の有るものを、必ず、何かしら持っています。羨ましくて仕方が無いです。

結局、自分は充分な投資があってようやく他人と並べるのだと、この趣味を通して実感しています。
これまでも、お金や物に頼って解決してばかりでした。当たり前な事かもしれませんが、私はもうお金無しでは生きられない気がしています。
才能も、コミュニケーション能力も、容姿も性格も、要領の良さも・・・私には何一つ無く、これから先、生きていける気がしないです。周囲に与える損害を、何か物で補う事くらいしか思い付きません。

私はこの恵まれた環境に感謝するべきだと思いますが、お金以外のものを持った皆が、羨ましいです。
まとまらない文章ですみません。このような状態で、これは趣味と言えるでしょうか?

厳しい意見でも、頂けると嬉しいです。友人とは年に一度しか会えず意見が貰える機会がありません。
どうぞよろしくお願いいたします。長文を読んで頂きありがとうございました。

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2012年9月20日 15時07分

無料カウンセリング掲示板の回答

おはようございます。

一般的に趣味とは、「時間とお金」がかかるものです。
もちろん、時間だけ、お金だけの場合もあります。
蛇足ですがフランス語では、趣味=暇つぶし、と表現します。

そして芸術関係は、環境整備にお金がかかるのも事実です。
例えば、採光のあるアトリエ、思う存分楽器を弾ける環境、活動を
維持するために必要な費用です。

しかし全ての方が環境に恵まれて中で、趣味を楽しんでいる訳ではありません。
ご自分に与えられた環境の中で、最大限の努力をされることが肝心です。
どのような環境でも、相手を羨ましがることなく、努力できる姿勢を評価します。

そして趣味が高じて、職業につながれば最高ですよね。

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2012年9月22日 11時31分


人生相談・成功報酬型カウンセラー

あなたとお母さんの話は相対世界の相対についての話ですから、決着はつきません。

今回負けたのは相対ですので力の強い人、話のうまい人に言い負かされたにすぎません。

あなたはうまく言えないなら議論すべきでないですね。言いまかされて不満が残るだけでしょうから。気持ちよく話すには絶対世界を知ることです。絶対を習得するまでそのような話は気分も害するのでやめておきましょう。

あなたの相談は絶対を目指すものです。

さて心理学も心を外側から目指すものですので、相対です。絶対世界=心に近づくことはできても外側から分析する限り永遠に心そのものには成れません。

日本にはもう一つの心理学、心学があります。消滅しましたが、これを心そのものとして、絶対世界として心の世界を展開しているのが当方の心楽です。心を音楽のように楽しむ心理学で心楽!

あなたの答えは心楽にありそうですね!

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2012年9月21日 09時48分


お姉さんは、ピアノを習い、大學も音大を卒業して、音楽の仕事しているのは

すごいです。

イチロー選手がこういう言葉を言っていました。

「そこに行きつくためのプロセスが大事。」

プロ野球選手になるには、

とてもお金がかかります。

プロ野球の球団に入団して、

ほとんどの人が10年も経たないうちに、

辞めてしまいます。

10年以上、やっている人は、何かをもっていると思います。

自分は充分な投資があってようやく他人と並べるのだと、この趣味を通して実感しています。

*この言葉の中には、

「この趣味がとても好きだ。この趣味のために、

頑張るという才能が隠されていますよ。」

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2012年9月20日 16時42分


お礼コメント

過程がだいじ・・・本当にそう思います

野球の世界には疎いですが、
プロ野球の球団に入団して、ほとんどの人が10年も経たないうちに辞めてしまうという事、驚きました。

10年以上続けられる人は、何を持っているのでしょう?
自分なりの・・・楽しさを、見つける才能でしょうか

この趣味が、好きだと思っていました
しかし本当は、姉のように何かを持ちたかっただけだろうと思います。


この様な曖昧な質問にご回答いただき、
本当にありがとうございました。

2012年9月21日 04時08分

こころのピース

はじめまして、piroshiki様。カウンセリングルーム こころのピースの佐々木と申します。

今の自分の趣味の成果が、その趣味にお金を掛けることが出来たという1点で他の人よりも優れていたというだけであり、そのお金がなかったら自分には何も出来なかったのではないか、何も評価を得られず、今のような立場にいなかったのではないかと疑い、悩んでいらっしゃるのですね。
そしてその趣味が本当に自分の趣味なのか、やりたいことなのかもわからなくしまっているのですね。

確かにお金を掛ける事は優位に立てるチャンスを与えてくれることがあります。
お金がなかったら良いところで勉強をするチャンスをもらえなかったかもしれません。
お金がなかったら良い道具を使うチャンスを得られず、他の人に気付いてもらえるチャンスを得られなかったかもしれません。
でも得られるのは「チャンス」なんです。その後実際に実力を得たり、評価をもらうためには本人の努力が大切なのです。
お母さんは「(お金を掛けなくても良い成果が得られるのならば)じゃあなんで皆は賞取れないの?」とおっしゃったようですが、逆に
「じゃあ、お金持ちの中東の大富豪はどうして全部の賞を取れないの?」ということに
なりませんか。全ての賞がお金を掛けただけでもらえるならば、全ての賞は最もお金持ちの人が全てとってしまうはずです。そうではありませんよね。

昔のローマの軍人が手柄を立てたときに、こういわれたそうです。
「そんなもの、ただおまえは偶然そこにいただけじゃないか」
その軍人はこう答えたそうです。
「そうだ。そこにいただけだ。でもそこにいたことが私の才能なんだ。」と。
こう書くと運だけではないのかと思われるかもしれませんが、実際そこにいても
その人と同じ成果を出せるとは限りません。そこにいて、自分の才能を活かせるように
自ら動くことが大切なんです。
piroshiki様も同じです。確かにお金を掛けてもらえるという立場にいたことは
他の人よりも優位に立つことができた理由でもあります。
でもその立場に埋もれることなく、自分から自分の才能を引き出し、人に表わすことが
できたことは紛れもなくpiroshiki様の才能なんです!

お金持ちを鼻にかけ過ぎるとまわりに不快感を与えてしまいますが、piroshiki様はそのことについて逆に恥じており、自らを低く評価しすぎて知ると思います。
人よりも優位な立場にいられたことに感謝し、人よりも努力をすれば、誰もがpiroshiki様を認めてくれますよ。優位な立場に甘えず、努力を惜しまないこと。そうすればおのずと自らの評価も変わってくるかと思います。

今は自分に対して疑惑の思いでいるため趣味に対しても自分の実力ではないと思い込んでしまい、楽しめなくなってきているのだと思います。
まずは道具にあまり過剰に意識せずに、趣味に全身全霊でぶつかってみてください。全力で努力をしてみるのです。きっと心からその趣味を味わえる、喜びを感じ取れると思いますよ。

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2012年9月20日 15時31分


お礼コメント

同じ趣味を持つ人達なら
私は道具に振り回されていると直ぐに見抜かれるでしょう
私には土台(感性、センス?)がありません

どれだけやっても、教科書の丸暗記に近いです
お金を掛けて得られた事は全て、上級者の真似事です
そこには深さ、面白さはありません

自身の表現と言うものがありません
私は作る側ではなく、見る側であったのだと思います
しかし自分自身は「作り出せる人」であることを望んでいたのだと思います

私は全てにおいて姉に劣りますが
しかし同等の結果を求められているような気がします

本当、姉だけで良かったです。


ご回答、何度も読み返させて頂きました。
本当にありがとうございました。

2012年9月21日 03時55分