無料カウンセリング掲示板の質問

「「マニア」を演じようとしてしまう自分に悩んでいます。」に関する質問

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るりこさん

趣味や好きなことは、マニア級に熱狂して、
極めている状態でなければ意味がないのではないか、という気持ちが最近強いです。
twitterをはじめとしたSNSでは、そういった人たちが目立っているからかもしれません。

だからか、「ちょっと好き」「興味ある」程度のことを、
「大好き!!」と、誇張して発言してしまいます。
私の場合は「歴史好きな私」という濃いキャラクターを作ってしまっています。
たとえば、史跡や博物館などに行くのは好きなのですが、
あれは●●時代の××様式の何々で~、とか、
どこどこの論文にはこう書いてたけどこのあいだ新解釈があったとか、
そういったことまで深入りできないんです。
なのに、雰囲気だけ「歴史大好き!!」というふうに振る舞ってしまいます。
ちょっとだけ聞きかじった有名な仏像などに「これがあの××!!」と
大げさにつぶやいてしまったりします。

好きな気持ち自体に嘘はないのですが、度合いに嘘をついてしまいます。
「ちょっと好き」程度だと、自分はその他大勢で輝いていないみたいだなと思ってしまい、どことなくがっかりします。
でも、本当の気持ちは、「ちょっと好き」から発展しないんです。
それで満足してしまって、掘り下げよう、いう気持ちは本当はありません。
掘り下げようとして、本を読んだりしても、半分くらいは頭の外に流れていってしまいます。無理に覚えよう、としてるなという自覚はあります。
自分の中にある、薄く発光している色を、無理矢理濃く出そうとしているというか…うまく言えませんが。

そんな自分が情けないのですが、気持ちの水増しみたいなことをしてもなあ…分相応にした方がいいのでは、という思いも、あります。
でも、それではつまらないし、自分はその他大勢なんだ、ダメなんだと思ってしまいます。

無理せず、何も考えずに過ごすことと、目立ちたい気持ちの間で葛藤しています。
着ぐるみ着てるだけ、ハリボテになってしまっているだけ、とはわかってはいます。

ネットやSNSを閉じて、身の回りの世界を大事にしていけば、
「ちょっと好き」でもいいと思えるようになりますか?
やっぱり、振り切って極めるか、「ちょっと好き」なことがなんとなく多い、
ただの凡人である自分を認めることの二択しかないですよね。
折り合いをつけるヒントをご教授ください。
よろしくお願いします。

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2015年10月22日 10時12分

無料カウンセリング掲示板の回答

カウンセリングルーム・エンパシー

心理学用語に、「防衛機制」というものがあります。今回のご相談内容にも関係していると思います。心の問題には、様々な防衛機制が絡んでいます。
 
簡単に「防衛機制」を説明しますと、自分自身の心を、さまざまな方法で守ることです。
あなたの理想と現実のギャップが大きいと、心が分裂したり、崩壊したりしてしまいます。

これを防ぐために、「防衛機制」を作動させます。注意点として、一時的にな作動なら良いのですが、長く作動し続けると心の自由が奪われます。

自分と向き合って、自分の心の中の敵を知り、本当の自分である己を知ることから始めてください。見栄の自分と本音の自分が、仲良しになることで折り合いは付くはずです。

でも、処世術として大事な要素が、あなたの文章から読み取れます。その事ついてもお伝えしたいと思います。

興味がありましたら「mental@r-empathy.com」までご連絡ください。
料金は掛かりません。

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2015年10月23日 07時57分


カウンセリングルーム Flow 電話カウンセリング

はじめましてカウンセリングルームFlowの馬場と申します
るりこさんのゴ質問を拝見し書かせていただきます

ご自身を凡人だと感じ もっと目立ちたいと考えておられるのですね

しかし その目立つ方法が 自分の本心 興味の度合い
それを超えたものでなければ目立てない と考えておられると思います

いくつか質問させていただきたいのですが

おそらく書かれている内容からすると
知識を身につけ それを示すことで目立ちたいと考えておられるように見えますがいかがでしょうか

るりこさんにとって目立つこととは 深い知識をもっていなければいけないということなのでしょうか

他の手段で目立つということ 周囲から関心を集めるということでもよいのではないかと思いますがいかがでしょうか

そして 何より 付け焼刃を嫌っておられると思いますが

もしそうでしたら あえて付け焼刃を続けてください
ひとつのことに特化することが マニア であるのなら

広く知識をもつ 博識を目指してみてもよいのではないでしょうか

何かを深く知るには時間がかかります
そのぶん そのことに興味がなければ それは難しいでしょう

ただそれは 分相応や凡人といったことで 難しいのではありません

るりこさんがおっしゃるように

自分の中にある、薄く発光している色を、無理矢理濃く出そうとしているというか

ご自身の中に 薄っすらとしたものであっても 発光している色があるのであれば
それを追いかけてみてください

知ってみなければ それを続けたいのか実感はわかないでしょう

いまはまだそれが見つかっていないのではないですか?

そして 折り合いをつけるヒントがほしいということで

書かれていることから
わからないことがひとつあります

なぜ目立ちたいのかということです
ご自身を凡人とるりこさんは言いますが

凡人であることに何の問題があるのでしょう
それを考えてみてください

そうすることで ご自身がなぜ目立ちたいのか
そう感じたきっかけや原因があると思います

それを見つけてみてください

これが参考となれば幸いです

ご質問や
ご自身だけで考えることに苦しみ お手伝いが必要でしたら
どうぞご連絡ください
お力になれればと思います

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2015年10月22日 21時40分


お礼コメント

ご回答ありがとうございます。

>知識を身につけ それを示すことで目立ちたいと考えておられるように見えますがいかがでしょうか

はい。頭の良い人、教養のある人に憧れていて、自分もそうありたいと思っています。成績も昔からそこそこ良い方で、生真面目と言われる方でしたので、そういうキャラクターでありたいと思っています。

他の手段で目立つこと……
今回の質問は実は、ここ数年、自分は実はそんなキャラクターじゃなくて、無理がある、大人しくしている方を世間は求めているのではと思うようになり、ギャップを感じ始めたことがきっかけになります。叩かれたり、波風を立てることが怖くなってきたからです。
だから、変わらないといけないかな、という気持ちはあります。

それ以外で目立つ、となると、何も考えずにもくもくと、謙虚に仕事に取り組んでさりげなく成果を残す、くらいしか思いつきません。
そんなに能力もないのに、目立ちたい!という気持ちだけが先走りして、周りからは「痛い」「滑稽」と思われている…と思っています。
でも、それは「第1希望がダメだった、第2希望の人生=負け」だな、という気持ちもあります。
あまり、本当の意味で自分に自信がありません。他人からの評価が全て、という感じです。
だからこそ、目立ちたいのではないかなと思います。

他人にどう思われたいか、見られたいか、ということが常に前提にあって、自分が本当にやりたいこと・好きなことが見えにくくなっている部分もあります。
ここ10年ほど、ネットでの交流を中心にしてきたせいかもしれません。素直にやりたい、知りたいという気持ちよりも、ネットでアピールしたいからする、というパターンが自然と多くなっていました。

あとは、楽をして目立ちたい、評価されたいという気持ちもあるのではないかなと思います。だから深く調べるのが面倒くさくなって、ちょっと聞きかじったことをさも勉強してきたかのように話して、すごい、さすがと言われて楽をする、ということを繰り返してきたせいもあります。それがいけないと思うようになって、いまの悩みがあるのですが…

うまくまとまりませんが、他人に向けてアピールする、という前提がなくなれば、もうちょっと素直になれるのではないのかなと思います。
まんべんなく興味がある=無趣味と一緒、みたいな考えもありますので…。
1の方のお礼にも書かせていただきましたが、他人の存在がやっぱりひっかかっているようです。

2015年10月23日 00時46分

追加コメント

お返事ありがとうございます

折り合いをつけるためのヒントとして
考えられることを書かせていただこうと思います

お返事のなかで
ひっかかっているのは他人の存在
ということでした

他人の存在はるりこさんにとってどのようなものか
怖いもの 不安なもの
何らかの感情を持っておられるのではないか
と思うのですが それはどのようなものでしょうか

そしてそれは何をきっかけに生まれた感情なのでしょう

目立ちたい
つまり関心をもたれたいということともいえると思います
どのような関心をもたれたいのでしょう

これらについて考えてみてください

それが目立ちたい本当の理由につながっているのではないかと思うのです

これがヒントとなれば幸いです

2015年10月24日 23時43分

花灯りカウンセリング

はじめまして、るりこさんは正直な方ですね。
そして、ずいぶんと自己分析ができている方なのですね。

・振り切って極めるか
・「ちょっと好き」なことがなんとなく多い、ただの凡人である自分を認めること

この二択に限定するというよりは・・・
凡人である自分を認めた結果、本当に大好きなことが見えてくるのではないでしょうか?

今は「ちょっと好き」または「自分の中にある、薄く発光している色」に追加して大風呂敷を広げようとしてしまうのですよね。そんな自分を責めていることも、もう分かっていらっしゃる。

極めている状態を諦めなくても、凡人である自分を認めてあげられれば、本当に心から極めたいものが見つかるはずです。それはたったひとつであっても数少なくても良いのではないでしょうか?

さらに深く考えて行くのであれば・・・
るりこさんの元々の性格や、おそらく育ってきた環境の中で培われた、
完璧主義や両極性、または優越感と劣等感がどこから来ているのか…
にまで目を向ける良い機会なのかもしれません。
そこは微妙です…本当のご自分の心に向かい合いたいかどうかは、るりこさんご自身が時期を決められることかと思いますので。

ご参考になりましたら幸いです。

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2015年10月22日 13時33分


お礼コメント

ご回答ありがとうございます。
何度も何度も同じことを考えている結果なんですが、どうしても自分の中では
「(凡人であるなし関わらず、ありのままの)自分を認める」=「降伏、負ける、諦める」
といった、マイナスのニュアンスが強いようなのです。
10代~大学生くらいまでは、強がって背伸びできたのですが、社会人になってからは、だんだん認めざるを得ない状況にはなってきました。身の程をわきまえて、波風を立てないように大人しく生きていたい、知ったかぶりだとか叩かれたくないと思うようになったのです。
自分は自ら輝く太陽(目立つ存在)ではない、他にいる太陽の引き立て役である月のような存在なんだろうな、ともうっすら思ってはいます。
それでも、10代からの背伸びがちょっとだけ残っているせいで、モヤモヤ感が残っています。ああ、自分ってやっぱりそんなもんだったんだなと…。
あと、私と言えば●●!みたいな、強烈なキャラクター性を出していたいという理想もあります。
おっしゃるとおり、完璧主義で0か100かで考える癖が昔から強いです。曖昧な状態が苦手です。
振り返るに、あんまり親に「そのままで良いんだよ」と言われたことがないような気がします。かといって、否定ばかりされてきたわけでもないのですが、一番上として生まれたので、常にお手本として緊張感には晒されていました。良く言えば向上心、悪く言えば自己否定(このままじゃダメ、もっと改善して完璧にしなきゃ)を繰り返してきたと思います。自分を責めることは習慣として根付いてしまっています。
ちなみに今回挙げた歴史に関しては、それ以外に興味のあることが無く、大学もそっちの専攻に進んだこともあり、10年以上「歴史好きキャラ」で在り続けた関係で、それをパタッとやめちゃうような感覚もあるのですが…
完璧主義、という見方からみると、「私って実はそんなに歴史好きじゃなかったんだ、じゃあやめよう、何も好きじゃない人と同じでいいや」と、振り出しに戻るような…100から0に急降下しているようにも見えますね…。
他人からどう思われるか、ということを気にしていることが多いので、余計に自分自身が見えにくいのかもしれません。

話は最初に戻りますが、自分を認めるという行為に、マイナスのイメージがなくなればいいなと…思います。ここがネックなような気がしています。

2015年10月23日 00時25分