無料カウンセリング掲示板の質問
「依存されやすい人の改善方法」に関する質問
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幸さん
どうやら私は人から依存されることが多いようなんです。
依存する側も勿論ですが、依存される側にも問題はあると思います。
そこで、私自身のどこをどう改善していけば、そうなることを回避できるのかと考えました。
元々、私は誰かに執着することがあまりありません。
人間関係も大体は程々の距離をとり、普段は依存されることもありません。しかし、それが恋愛になると話がややこしくなります。
昔から恋愛相手に束縛されたり、依存されることが多く、毎回それが原因でもめ、疲れ、別れるパターンです。
私自身は相手をちゃんと好きでも、その人相手でもどうしても人に執着心がもてず、束縛することはまずないです。むしろ自由にのびのびと生きて欲しい、というスタンスです。
しかし、それが相手を不安にさせるのか。たまたま好きになった人が感情的になる方が多いのか。いつの間にか束縛され、依存され、私がそれに応えられずにいると、感情的になり衝動的な行動に出られたりします。そして、お互いに疲れてしまいます。
別れを告げると、死ぬとか、捨てないで欲しいと泣かれ、手首を切った写真を送られてきたりと、だんだんと相手に恐怖を覚えるようになります。
毎回そうなってしまうのは、多分私自身に問題があるんだと思います。
どうか、アドバイスや御意見よろしく御願いします。
2014年10月29日 01時25分
無料カウンセリング掲示板の回答
カウンセリングルーム・エンパシー
お返事ありがとうございました。一番大事な質問をさせて頂きます。
あなたは自分が好きですか?それとも嫌いですか?
もし、後者の場合は先にご案内のメルアドへご連絡ください。
引き寄せの法則をご説明致します。
2014年10月30日 07時05分
こころの相談室 おうみ
幸さん、こんにちは。こころの相談室 小倉と申します。
前提として、あなたに問題はないのです。
悪いのは依存してくる人です。
でも、そんな人ばっかりになってしまうのは、
あなたの人柄や好みに一定のパターンがあるからかもしれません。
だれにでも優しくて、
なんでもこなせて、
頼まれると嫌と言えなくて、
責任感がある、
というようなことはありませんか?
ちょっと優しくしてくれた人に対しては、
あなたはずっと優しくしてあげなければならないと
思っていませんか?
ダメな人をダメとして、あなた自身が遠ざかるようなことが
できないのかもしれません。
そうすると、なんでもしてくれると思っている人が
あなたのまわりにたくさん残ってしまうように感じます。
助けてあげなければならない人と恋愛するのではなく
あなたが心から尊敬できる人と
恋愛をするほうがいいのではないでしょうか。
あなたのとても良い人な部分を誰にでも振り向けるのではなく、
ほんとうに良い人にむけてみてください。
2014年10月29日 15時21分
お礼コメント
こころの相談室 おうみさん
御早い御回答ありがとうございます。
特に嫌と否定できないわけではないんですが、ある程度自分自身に手に負える範囲であれば何かを引き受けることは多いかもしれませんね。特にそれに対して嫌と言えないから引き受けるということはないと思います。
私も人ですので、出来ること出来ないこと、好きなこと嫌なこともあるので、断るときは断ります。
私が尊敬できる人、ですね。
たしかにそういった目線で誰かを見たことはありませんでした。
私自身が目線を変えて、人を見極めることもまた何か見え方が違うのかもしれませんね。
ありがとうございました。
2014年10月29日 20時14分
幸さん、はじめまして。郷家あかりと申します。
恋愛関係になった人から、執着され、依存され、感情的・衝動的な行動に出られることもある…とのことですね。
幸さんは「誰かに執着すること」があまりなく、恋愛の相手に対しても「執着心がもてず」ということですが、ご相談内容のようなことが度々起こるのだとすれば、それは「たまたま好きになった人が感情的になる人が多い」ということではないでしょうね。
幸さんに、そういう人の心を刺激し、そういう人を惹きつけてしまうところがおありなのだと思います。
きっとお優しいのです。依存したい人、というのは、それができる人かどうか、必ず嗅ぎ分けるものです。
他人に執着せず、ある心地よい距離、境界を保っているはずの幸さんですが、
じつは、見つめてみると良いテーマ……ご自分の対人関係、愛情関係に関する課題があって、それを繰り返し、思い知らされている、ということなのかもしれません。
他の人間関係とは違って、恋愛は 相手との距離が近く、”剥き出し” にもなりますので、大きな問題が浮上してくるものですが、それはチャンスとも言えます。
ご自分が、どんな人間関係をどれくらい築いてきたのか、保っているか、そこに温かな交流があるか、心に寂しさや心もとなさがないか、受け止められて安心しているか……、たとえばですが、考えていかれることは、いろいろとありますね。
こうして投稿されているのですからよい時機が来ているかもしれません。
ご自分の心の深いところを、まずは覗いてみてください。
2014年10月29日 15時19分
お礼コメント
郷家あかりカウンセリングルーム上野さん
御早い御回答ありがとうございます。
そうですね。
恋愛は人間関係の中でも、お互いにお互いの距離が近くなるものだと思います。
それ故に、自分の思ったことや感じたことを素直に伝える必要があるのかもしれませんね。
そうするためには、自分の中で何をどうしたいのか、というものを考え直す必要がありますね。自分が一体本当は何を求めているのか。改めて、彼と向き合い、考えてみようと思います。
自分自身を見つめ、知ることで、また何かが変わって見えるかもしれませんね。
2014年10月29日 20時06分
花村企画 花村の電話相談
初めまして、花村と申します。
依存されることが多いとのこと。
きっとあなたが誰に対しても受け身の体制がとれていて優しい方なのではないかと思います。
心の広い、頼りになるしっかり者のタイプともいえるでしょう。
それはあなたの素晴らしい長所だと思います。
ところが、時としてそれが裏目に出てしまうことにお悩みなのですね。
男性はプライドを保つことができ、尚且つ安心して甘えられる女性を求めるものです。
あなたは、男性にとってとても居心地の良い女性なのですね。
ただ、どんなに心のキャパが広くても限界はあります。
毎回の恋愛で、限界まで我慢していませんか?
夫婦でも片方が優しいともう片方はそれに頼ってしまったり、わがままになってしまったりという法則みたいなものは確かにあります。
ご自身は相手に依存も束縛もしないということでさっぱりした理系女子のような印象ですが。
逆にあなたも彼に依存や彼を束縛するふり、もしくはちょっと甘えてみるふりをしてみてはいかがでしょうか。
いつもとは違うあなたを演じてみるのも、守ってあげたいという男性の父性本能をくすぐるかもしれません。
理想は、お互いに信頼があってお互いを支えられる関係が望ましいですね。
2014年10月29日 15時03分
お礼コメント
花村企画 花村の電話相談さん
御早い御回答ありがとうございます。
逆に甘える、束縛する、依存する、ですね。
少し私自身に「大丈夫じゃない」と思えるような部分があったほうが、一方的ではなく少しはお互いに自立する関係に近づくのかもしれませんね。
少し考え、挑戦してみようと思います。
的確なアドバイスありがとうございました。
2014年10月29日 19時57分
カウンセリングルーム・エンパシー
ご相談内容を拝読致しました。恋愛依存と回避依存の関係と言うことになるかと思います。
回避依存タイプの男性は、自分の弱さを見せたくない気持ちから、人との距離を置きます。自分の弱さを知られない程度の距離を保って、自分を守ろうとします。
なので、自分と付き合う女性は自分が支配できるタイプを選びます。自分が支配すれば、自分の弱みを探られないですむからです。
しかし、その女性は自分に自信が持てないことから、相手から捨てられないよう、相手を監視します。
その男性にとっては、自分が束縛されるのが嫌だから、支配できる女性を選んだのでから、裏目に出たことになります。そして、その束縛から逃げようとします。
簡単に言えば、追えば逃げる関係です。でもねあなたが逃げる体制を取れば、逆に追ってきますが、これの繰り返しでは埒があきません。
お互いが向き合える距離を見つけ、保つことが望ましいです。それには、あなたの心の中の子どもを十分に癒す必要があります。
まだ、あなたの幼少期のことを詳しくお聴きしていませんが、たぶん親に対して「見捨てられ不安」があったのではないかと思います。
あなたが求めた愛情を、十分に与えて貰えたのか?疑問です。
インナ-チャイルドの癒しをご希望の場合は、無料でお試し頂けます。
よかったら「mental@r-empathy.com」までご連絡ください。お待ちしております。
2014年10月29日 13時53分
お礼コメント
カウンセリングルーム・エンパシーさん
御早い御回答ありがとうございます。
恋愛依存と回避依存の言葉とその関係性を初めて耳にしました。
この場合、私が回避依存ということでしょうか。
幼少期の話を少しだけさせて頂きますね。
私の両親は父の女性関係が原因で激しい喧嘩が繰り返される関係でした。
また、母は感情的になりやすいヒステリックな人で、父の暴力を受けても負けじとやり返し、お互いにプライドだけはやたらと高く、お互いにお互いを傷つけ合うことを繰り返すような関係でした。しかし父への依存からなのか、昔からなかなか何かそれらしい理由をつけては離婚せず、父と別居してしばらく経っても離婚問題が未だに片付かないような現状です。
その両親の関係に幼い頃から私も巻き込まれることも日常茶飯事で、父や母から身近な存在だからか感情的になったときの吐き出し口とでも言うんでしょうか。都合良く扱われることが多くありました。しかし、父も母も人間なので、感情的になることも、どうしようもなく高ぶった感情を持て余すことも、理解できました。そうして感情的になった暴力的な言葉や、身体的な暴力として感情を吐き出す的が身近な存在である私であることには納得し、仕方のないことなんだと思っていました。私さえ何も言わず、言い方が悪いですが、バカなフリをして我慢をすれば、全て丸く収まる、そう思い、それがやがて癖になり、習慣になり、性格となり、両親だけでなく周囲の人の顔色を伺うようになりました。反抗をしてみてもその倍以上に私が両親の的になることはよくあったことので、反抗することもやめました。そのため、反抗期らしい反抗期を経験したことがないまま今に至ってしまいました。両親の関係がそれでも収まらなくなったとき、私は自分の存在を疑問に思うようになり、中学の途中から人自体を拒むようになり不登校になったこともありました。唯一、不登校になり自己防衛をしたことが反抗期と言えるでしょうか。
おそらく、そうしてきた結果。人間関係において、最初から誰にも期待をしていない、何も求めていない、1人でいることが一番気楽、そして「人にあまり執着心を抱かない」という状態に繋がったんだと思います。
そうなってしまった私自身の問題点は、客観的に物事を考えてきた経験があるので、少しは自覚はあると思います。
お互いに向き合う、ということから逃げてきたのかもしれません。
感情的になり、時に自分の感情をむき出しにすることも必要だと分かってはいます。しかし、どこか冷めた目で客観的に物事を見て状況を把握し、自己判断する癖があり、感情的になるほど感情が高ぶることもあまりなく、私には諦め癖があるのかもしれませんね。
2014年10月29日 19時50分