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「自分のことを考えると眠れなくなります」に関する質問
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困ったさんさん
最近よく自分のことを考え、夜にないてしまい眠れなくなります。
私はいま受験生の中高一貫校の高3です。
いきなり昔話になりますが全ての根源なのでよかったら読んでください。
私は小学生の時とても自己主張が強く、好奇心旺盛で、自分の意見と違う人と徹底的に戦うような子供でした。
世界が自分中心に回っていると本当に思っていました。自己チューと言われることもB型と言われることもむしろ誇りに思っていました。
顔はあまりよくないのですがなにせ格好に気を使ってなかったのでなかなかに女子力のない女であったにもかかわらず男子に絡みに行ったり追いかけ回して蹴る殴る、女ということを使って先生を味方につけ反抗できなくするなど、好き勝手やっていました。
自分がつるむグループに入ってきた子が嫌だったら周りを同調させて徹底的にいじめてグループから追い出す。さらに六年生のときには四人グループでローテーションして無視などをしていました(自分もされたけど短期間)。あのときはもう私の度重なる悪行のおかげで周りもおかしくなってたと思います。怒ってはいません、むしろ申し訳ないと思っています。
中学受験をし、卒業間近のときに女子トイレの壁に穴が開けられる事件が起きました。
私は女子らしくふるまっている権力あるグループに反抗したかった人ですが、世渡り上手なつるんでる子から犯人の女の子たちの名前を聞いてしまいました。
さらに最も権力あるグループの子達がその穴を広げているところに偶然遭遇してしまい。秘密にしてね、と言われました。
私はその子達が大嫌いでした。簡単に言うならぶりっ子。可愛く着飾ってて私と真逆。向こうも私を嫌っていましたがこんなときだけ都合がよくて腹が立ちました。
世渡り下手な私は先生が女の子をあつめて誰がやったかしってるひといるかな?と優しく聞いてきたとき周りの子達はみんな微妙な顔をしているのを認識していながら、知ってます!とあろうことか手を上げてしまいました。(もう一人いたつるんでる子も一緒につられて手を上げました。)
そこには権力あるグループの子達は誰もいなかったのですが、やはり私が言ったことは伝わり、卒業二週間前にして私に対するいじめ、と言っていいのかわかりませんが嫌がらせが始まりました。
もしそれが権力あるグループの子達だけがしてきたことなら、多分屈しなかったと思います。でも予想に反して覚えてる限り女の子で嫌がらせをしないでいてくれたのは36人ほどいる中でたった8人でした。しかもその子達は多分もう一人の手を上げた子と仲が良かったので内心私にはざまあみろという気持ちがあったと思います。幼なじみだった男子たちも向こうに味方しているようでした。不幸中の幸いといいますか、私がいままで男子に暴力をふるっていたおかげ?で男子はほとんどなにもしてこなかったに等しいです。もともと穴を開けてしまった子達は最初はみぞおちとかやってきましたが、呼び出されて渋々謝ったらなにもしてこなくなりました。しかし私の嫌いな子がいるグループは依然として嫌がらせをしてきました。
ある日、階段を上っているとき後ろを付きまとわれて足を踏まれまくりました。ずっとついてきてすごく腹がたちました。ですがいなくなってからもう一人の子が「ずっとついてきてうざかったね」と言っていて、あぁ足を踏まれたのは私だけか、と分かりました。薄々、私の方に嫌がらせの比重がかかっているな、とは思っていましたが確信に変わりました。朝から夕方までアウェーな環境。
散々好き勝手してきた私は三日目にあっけなく早退しました。
それから三日ずる休みし、運よくインフルエンザにかかり、ギリギリ卒業式にでて、小学校を後にしました。
謝恩会ではなにもなかったかのようにみんな楽しくしていました。私も休んでいたし卒業式でなにもなかったからそのときは明るくいられました。ですが途中で席をたったときに四年生のときグループからハブした子が、ごめんね、と言ってきました。私は因果応報どころかむしろ借金があるくらいその子にひどいことをしたのに。上手く返事ができませんでした。
中学に入学するまで過去を振り返りました。あの嫌がらせは本来であれば正当なことをした私にひどいことをするやつら、という構図であるべきなのでしょうが、いままでの数ある失態、私に比重が多い嫌がらせ、やったことに対してあまりにも掌を返す人が多すぎる、とあらゆる点から、私の性格行動に問題があったのことの完璧な現れであるな、と。私はそれまでの自分を全て否定しました。
中学に入り、中1のときにハブされましたがそれはある理由でアニメ好きと勘違いされ、いわゆるおたくグループに友達と二人、押し付けられました。私は全くアニメを知らなかったので、話について行くのに必死でした。友達が離れるのがとても怖かったのです。他人をものすごく気にして、向こうもやりづらかっただろうなと思います。またクラスでハブされてる子のことで話し合いになったとき、殺したはずの私がまたでてきて、悪口を散々言って、後で反省して、比喩的ではありますがまたボコボコに殺しました。
中2でもだんだん現れた過去の私をボコボコにして閉じ込めて。
中3になる頃には話のムードメーカーであったところだけ戻ってきて、嫌なところは閉じ込め切れたと思っていました。
しかし自分を何度も押し殺して周りを気にして、ビクビク過ごして時々暴れて、時々泣いて、また押し殺して、そんなことを繰り返しているうちに自分というものがなくなりました。
小学生のとき自分を紹介するのは自信をもってできたと思います。でもいま、あなたはどんな人、と言われたらなにも言えないです。小学生の頃の自分は今では他人のようですし、中学以降の自分は中身なんてありませんでした。
いつしか本当にやりたかったことも、今までの生活から夢に向かうのは無理だから自分の人生は終わったことにして諦めよう!となあなあにして高校三年生になりました。
理由をつけてなんだかんだ決めたような感じは出していますが、親のレールに自ら乗っかりながら、そんなのは嫌だと内心ではただをこねている子供です。
受験が近づき本当はいまこんなことを言っている場合じゃないのですが、自分の行きたくない未来へ、自分自身を持たないまま近づいていくにつれ、
やりたいこともやろうとしない、自分でも決められない、そもそも自分がいない、自分の人生は終わったなんて思っている人生を歩むくらいなら本当に終わらせようか?と考えてしまいます。
勉強しなくてはならない、自分のやりたいことを親に言えない、なんとなくほのめかして勝手に傷ついて引き下がる、勉強しなくてはならないのにしない
毎日葛藤し不眠過眠で親に怒られたりしてまた悩んで、そんな日々を送っています。
最近では憎たらしくて仕方なかった過去の自分が羨ましくもあります。あのまま生きていたら愚かではあるけれど今よりは楽観的な人生だったかもしれません。更生して作った自分さえももう好きにはなれません。
長年悩んできたせいかもはや悩むことが快感になってきているような気もします。息が苦しくなって眠れなくなって、でももはやこの状態から脱却するのは諦めているし、また悩んでいる自分がいなくなったらそのあとは?と不安なのかもしれません。
なにを聞きたいのかもわからなくなっていますが、誰にも言ったことのない小学生時代のことを書いてどうにかなるかと期待していたのかもしれません。
死ぬことは痛いし、悪いことで、みんなが悲しんで、みんなを暗くして、誰も幸せにならない。そんなことはしっています。そもそも死ぬことで誰かが幸せになるなんてことはもう思っていません。
死ぬことはそれなりに周りに苦痛が伴い、ただただこの世から消えたい私がやれば周りに迷惑がかかります。
最近はどうにか楽に迷惑をかけずに死ぬ方法はないのかと探しています。海外では安楽死もありますし。
こんなめちゃめちゃな文を書いてお返事をもらおう(というか質問にもなっていないですね)というのはあまりにも浅はかだと思いますが、今まで人をたくさんみてきた方々に私のありのままを見て意見していただけたらいいな、と思います。長々と失礼致しました。
2014年10月20日 00時05分
無料カウンセリング掲示板の回答
こころのピース
始めまして、困ったさん。カウンセリングルーム こころのピースの佐々木と申します。
小さなころは好奇心旺盛で、自己主張が強く、自分の意見と違う人とは
徹底的に闘うような非常に外向的な子どもさんだったのですね。
でも中学校に入り、反省や抑圧を繰り返していったことで自分自身を見失って
しまったような感じもしているのですね。
今受験生ですが、親のレールの上を走っていくだけのような人生もつまらないと
感じてはいても自分のしたいこともやらないし、親にも相談できない。
こんな自分が生きていても仕方がないとまで考えてしまっているようですね。
まず「海外での安楽死」ですが、望んだ人が全て安楽死ができるわけではありません。
かならず医師の判断などが必要になります。
若くて、将来をこれから作ることが出来る困ったさんには適用されないものです。
そう、これから自分を作ることが出来るのですから。
過去の過ちや出来事を変えることはできませんが、それらを糧にして未来に
進むことができるのです。いろいろな経験をして、悩んだ困ったさんだからこそ
分かること、できることはいっぱいありますよ。
小学校のときと中学校以降、正反対のように感じられるかもしれませんが、
どちらも自分の気持ちの一直線上にあるものです。
右に行けば外向的、左に行けば内向的。その度合いが違うだけです。
その目盛りを左右させているのは家庭での寂しさが影響しているのかもしれません。
お近くのカウンセリングルームなどで子どものころに感じていた自分の気持ちを
全て吐き出してみてはいかがでしょうか。
外向的になりすぎたのは自分を主張しないと受け入れてもらえないと不安だったから、
内向的に偏っていったのは主張しても受け入れてもらえず、その対極に向かわせる
ことで心配され、受け入れてもらえているように感じたからかもしれません。
文章だけでは顕在意識に阻まれ、表現できないことも多くあります。
実際に人と人が向き合い、心を開いていく中で表現できたり、気づくこともありますよ。
どんな自分でも世界に一人しかいないかけがえのない自分です。
自分を大切にできるようにしていきましょう。
2014年10月22日 11時28分