無料カウンセリング掲示板の質問

「人を愛したい。」に関する質問

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youさん

一つ目

小さい頃、殺されたい願望が強かったです。覚えているのは小学校の頃、隣でぐっすり寝ている両親の隣で自分の首を絞めながら息が苦しくなったところで離し、私も眠りにつくのが習慣でした。

流石に大人になったので今はやっていませんが、次に出てきた欲望は人が死ねばいいのにと思う事です。1人2人だけでなく全て。人が嫌いでもなければ苦手でもないんです。
ただ人がいない世界の方が人を愛せるんだと思うんです。自分自身も。

蝶々をピンで刺し標本にする行為はあり得ないと思う。
でも人間をピンで刺すことは良心が痛まない。
猫を殺すことはあり得ない。
でも人間は、殺すことでやっと愛せる。

この考えが悪いこととは思わないんです。

二つ目

こんな私ですが、もちろん普段は人の話を聞いて笑顔で接していると思います。
ただ昔からの癖、というか性癖なんでしょうか?自分の一言でその人の人生を壊すことが好きです。両親の間を取り持ち途中で一言相手に共感するんです
「そういえば最近お母さん、夜外に出ることが多くなったよね」その一言で簡単に不信感を埋め込むことができたあの日から、何言えば信じてくれるか。何を言えば疑うか。分かるようになりました。


気づいてほしいわけでも、怖がられたいわけでもなく自分自身を知っておくことで今後の身の振り方が分かると思い書かせていただきました。

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2015年4月8日 15時32分

無料カウンセリング掲示板の回答

心のカウンセリンブ 虹色の空

メール、拝見しました。小さいころから死への関心があったようですね。何か悲しいことがあったのでしょうか?もしないなら、心理学でいう死への願望が比較的強く出ていたのかもしれません。、これは誰でも無意識の中に組み込まれているものですが、身体的本能は生きようとします。
生活するうえで、何かそれが支障になることがないなら、気にしなくてもよいと思います
本当は人を愛したいと願っているのですね。その思いが胸に響きます。でも現実の世界はそんなにきれいなことばかりではないので、消してしまいたい、無いものとして考えたいとおもわれるのでしょうか?
推察ばかりでごめんなさい。でも文章を拝見していると、客観的に冷静に自分を見ているようで、川柳のような面白味さえ感じます。いずれにしても、人を愛するには、自分を知って自分を許してあげることです。時間はかかりますができます。
カウンセリングを受けられるといいですが、本を読んだり、いい話を聞いたり、自然の中に身を置いてみたり・・・あなたのことよく知りませんが、力のあるかたのように感じます。いろいろ心と体に心地よいことをやってみられたらと思います。

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2015年4月9日 19時48分


お礼コメント

貴重な返答に感謝します。

私は自分を弱い人間だと自負しています。
自分を一番理解し、一番愛しているからこそ、弱い人間なんです。
でも、弱い人間ほど自分のために動ける人間なんです。
逆に言えば、他人に対して嫌い、苦手という意識はないんです。ただただ興味がないのです。興味がないからこそ助けようとも可哀想とも思わない。本当に力のある方は所謂スーパーマンみたいな正義のヒーローのことでしょう。
私はなに不自由なくこの歳まで生きさせていただいています。死への願望があることは確かです。返答者様が言うように現実は汚いものですね。私は世界を愛したいから人を殺したいのだと気付きました。人間のいない綺麗な世界を愛したいのです。動植物だけ、食物連鎖を乱す人間を殺すことでその時やっと人を愛せるのでしょう。
綺麗事云々と言うよりは、これが私の自己満足を一番満たしてくれる方法ということに気づかしていただきました。

ありがとうございます:-)

2015年4月10日 08時37分

カウンセリングとどろき院

初めまして、拝見しました。

万人万色、人それぞれです。
50年ほど前、三島由紀夫事件では、三島と森田が割腹自殺をしています。
武士道・日本人ならではといいますか、みごとという声も聞こえてきます。
犯罪での行為と気持ちの違いで、善良でお手本・きれいにも悪質で嫌悪感・怖いという違いというようなが生じます。

好きな人に触られるのと嫌いな人に触られるのとでは、恋愛と痴漢の差が心しだい、愛しだいで大きく違います。

相談者の嗜好や器質も少ないような特徴のように思います。
人を、迷惑などや心や身体をできるだけ傷つけない程度に、ハードにソフトにいろいろな行為が陰陽の陰部で日夜満足の充足のために行われているはずです。


1つ目は、対人恐怖症なども傾向にはある場合もあると思います。
仮に、ネクロフィリア(死体愛好者)の場合、死んだ人間は好きなようにしても何も言わず、勝手に好きなことができるということもあります。血の通っていない人形的感触を好む場合もあります。亡くなった家族・子供などのホルマリン漬けの習慣も昔のヨーロッパにはありました。死体愛好者、愛が基本にはあると思います。

死体が怖い、霊が怖いという人の方が多いのですが、火葬場での仕事が好きで生きがいの人もいます。
カニバリズム(人肉主義者)もいますが、その中に死体愛好者の存在もあります。

器質、性質・嗜好の違いはざまざまです。
マイノリティの場合、同性愛にしても昔ほど理解されていませんけど、近年は日本でも理解が深まりました。早い先進国では、同性婚まで盛んです。
それでも今も、進んでいる国ですらパッシングされたりすると思います。

先進国では、エイズ者(キャリア・患者)が減る傾向ですが、日本ではエイズが増え続けています。役所もマスコミも国民もエイズは他人事のような感覚を持っているんです。世界感覚からは、異常な日本人という印象のはずです。
外からみないと、本当の事など分りにくいはずです。

相談者は、ご自分に合うような意気投合するようなパートナーが、現れると思います。だいぶ癒えるようにもなると思います。

似たようなマイノリティとしての嗜好のあう同士の愛好会などもあります。
人生を自己表現しながら、喜び多い人生にしてください。

SMなどでは、縛って思うように相手を操る、苦しめる・快楽を与えるプレイもあります。プレイでなく本番・本気での場合も当然ピンからキリまであります。

相談者はコミュニケーションが苦手?
想像力・創造力など何か乏しい?印象があります。
広汎性発達障害傾向?

人生は何度でもやり直しできます。
ただ、健康でないとすべて喜びのないような人生になります。
心身の健康維持には、注意など必要です。

当院のHPやそのリンクなども参考にされてください。
「治癒1番ネットとどろき院」では、全国iネットから、詳細な早期不調改善への対応が可能です。いつでもご利用可能です。

                                   カウンセリングとどろき院
                                          竹本 豊

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2015年4月8日 20時56分


お礼コメント

貴重な返答に感謝します
この返答により気付いたのは、私は人が嫌いとか、苦手でもなく、人が邪魔な存在であるということでした:-)
人を愛したいのは確かです。しかしその前に世界を愛したいのです。世界は無だと考えています。その中で動植物や人間がいることで彩られる世界を愛したいのです。しかし私が理想とする、満足できる世界には人はいないのです。

人がどのような無責任な考え、行動をしようとどうでもいいんです。人間に対して興味が全くないのです。
ただ世界を愛したいから人を殺したい。
人間がいなくなることで人を愛せる。

それが私の自己満足を一番満たしてくれるものだと、気づかせていただきました
ありがとうございます:-)

2015年4月10日 08時22分

こころのピース

初めまして、you様。カウンセリングルーム こころのピースの佐々木と申します。

人を愛したいのですね。
そう思いながら人を殺すことで愛せると感じたり、人の人生を一言で壊すことが
好きな自分はどういう人間なのだろうかと感じていらっしゃるのですね。

こちらの内容からだけですので、you様の本意とは違うかもしれませんが、
感じたことを書かせていただきますね。

1つ目も2つ目も愛情を絞り込むための気持ちのように感じられます。
誰かが生きていれば自分から離れていってしまうこともあるかもしれない。
だから殺してしまえば安心して愛せる。
多くの人に向けられている愛情も周りの人たちに不信感を持たせれば
自分だけに向けられる。
与える愛情も与えられる愛情も絞り込んで守りたい。
そのように感じられました。
そのように考えると、you様は人を愛していらっしゃいます。

もしyou様が私の感じたこと、考えたことに少しでも当てはまるような部分が
あれば、是非そのことについて考えてみてください。
「自分」って、不思議な存在ですよね。
私もまだ自分について研究している途中です。

よろしくお願いいたします。

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2015年4月8日 17時17分


お礼コメント

貴重な返答に感謝しています
この返答をしていただいたことで、自分が人間に対して何を思っているがわかりました。
私は人間が嫌いでも苦手でもなく、ただ、ただ、邪魔な存在であること。私も含めて。

私の感情は、人間から愛されようが愛されまいがどうでもよく、一方的に愛したい気持ちであると。私が本当に愛されたいのは地球であり、動植物たちであると。私たちが死ぬことによって彼らが生きれる。人間は動植物がいなければ生きられないですが、動植物は人間がいなくても生きられる。私たちが死ぬことによって私たち人間様の娯楽のために死んでゆく動物がいなくなる。動物愛護でもなんでもなく、それが私の自己満足を満たしてくれる。私が愛し愛されたい理想の世界に人間はいないんです。

世界を愛したいから、人間を殺したい。
人間がいなくなることで、人間を愛せる。
最初から人間は私にとって要らないものということが分かりました。

自分とは不思議ですね。自分にも分からないですもの。
結局自分は他人が作ってくれるものだと思っています
でも、自分について意見を貰えることで、分かることもありました。
ありがとうございます:-)

2015年4月8日 18時08分

追加コメント

ご返答いただきましてありがとうございます。

you様の愛情はとても大きなものなのですね。
地球を愛している。
地球の自然や動物達が愛おしいのですね。

余談になりますが、昔、「ガイア理論」という考え方がありました。(今もあるとは思いますが)
その考え方では地球を1つの生命体と捉え、地球とその中で生きている生物が
相互に関係しあい、環境をつくっているという考え方です。
私達人間もまぎれも無く、地球が作った生命体です。
地球が今どのようにこの世界を作っていこうとしているのかは人間というレベルでは
理解できませんが、私達は地球の意志で生きているものだと思います。
確かに環境破壊は嘆かわしいものです。
でも所詮人間という小さな生命体が行っていること。
それは地球という大きな生命体が何かしらの意図を持って行っていることなのかも
しれませんね。過去には巨大になりすぎた恐竜という生命体は
氷河期なのか火山噴火なのか隕石の影響なのかは分かりませんが、
絶滅するという結果になりました。
これから人間はどのような結果に導かれていくのか。
全ては地球という大きな生命体の意思次第なのかもしれません。
地球上の全ての命は地球そのものであるとも思います。

本当に余談でしかありませんが、興味を持っていただけたら幸いです。

2015年4月10日 22時39分